駐日ブラジル大使インタビュー
2018年10月28日放送
◉スペシャル
インタビュー
「駐日ブラジル大使館特命全権大使アンドレ・アラーニャ・コヘーア・ド・ラーゴ閣下」
2018.10.11.@駐日ブラジル大使館
インタビュアー:TOYONO
コーナーゲスト:
駐日ブラジル大使館特命全権大使アンドレ・アラーニャ・コヘーア・ド・ラーゴ閣下
o sua excelência o senhor embaixador Andre Aranha Correa do LAGO
da Embaixada do Brasil em Tóquio,Japão
協力:駐日ブラジル大使館
■【ブラジルコーヒーと日本】展覧会
2018.10.2 - 31(土・日・祝祭日除く)
時間10:00-13:00, 14:00-17:00
会場:ブラジル大使館
https://www.facebook.com/Brasembtokyo/
https://www.facebook.com/events/321138372028506/
TOYONO:今回は10月2日から31日の平日、
「ブラジルコーヒーと日本 “ブラジル一杯 いつも朗らか!ブラジルに優るコーヒーなし」
というブラジルコーヒー展が北青山のブラジル大使館で開かれていますが、今日は大使館にお訪ねして大使にお話をお伺いしました。
TOYONO:それでは、今回の開催について一言頂きたいと思います。
O Sr. Embaixador(大使):実は今回「国際コーヒーの日」に合わせて展覧会を開催したのですが、様々なアイデアが元々ありまして、それを統合して今回の展覧会に結実しました。大変この展示が興味深いところは、ひとつの”製品”を通じて日本とブラジルの複雑な歴史について、様々な物語を語れるというところにあると思います。
もちろんコーヒー自体の経済的な、貿易、という側面もありますけれども、それに加えてコーヒーの宣伝に伴って様々な文化的な要素、建築ですとかデザインとか、そういった側面もありますし、また常に話題の中心である日本とブラジルの人的な、人間のつながりという側面があります。
TOYONO:疑問に思うのが、まず、なぜブラジル政府は日本という国を、90年前、その頃に選ばれたのか、とても興味を持ったのですがそれはいかがでしょうか。
O Sr. Embaixador(大使):
なかなか良い質問です。やはり人間的な、人的な絆というものが大きくあると思います。ご存知の通り、1908年から日本人のブラジル移民が始まってますし、彼ら移民の多くがコーヒー農場で働く事になりました。ですから、それがそもそもの発端でありそこから発展していったんだと思います。もちろんその日本からの移民はいっぺんにどっさり行ったわけではなくて、少しずつ移住していったわけです。
また、当時のアジアというのは大多数の国がヨーロッパの植民地だったわけです。ですから、ヨーロッパの本国・宗主国の産業や貿易会社の支配下にあったわけで、日本が、大きな経済規模のある国としては、唯一そういった植民地ではなかったので、ブラジルとしては直接取引が出来たという、そういう要因があります。
TOYONO:展覧会を拝見させていただいて、当時の文化的なハイセンスさがとても伺えました。
ブラジルから輸入された文化が銀座にとてもフィットしているなと思ったんですけれどもそれはブラジル側から見ると予想されてた事なのでしょうか。
O Sr. Embaixador(大使):
非常に多くの人々、特に影響力のある人々にとって魅力的な商品として、そうやって集客効果を狙うという願いがあったと考えます。そういった所得の高い人の憩いの場にコーヒーを、という、そういったイメージを作る事で、またコーヒーを広く普及しようという考えがあったと思います。ですから、非常にモダンなマーケティング戦略だと思います。その商品の価値を高めると同時に、より大規模な消費者をターゲットにしている。
TOYONO:大使は「銀ブラ」という言葉はご存知ですか?
O Sr. Embaixador(大使):ええ、もちろん。その言葉を聞いて大変興奮しました。
TOYONO:当時の事を伺うと、「銀ブラ」という言葉自体が「モダンな文化の象徴」だったと伺っているので、まさしくブラジル政府と日本のハイソサエティの方とのマーケティングが上手くいったんだなと思います。今でもそれが続いているという事ですね。
O Sr. Embaixador(大使):
銀座は近年、また新たな再活性化という事で舞台に再登場しているような感じを受けます。パリのシャンゼリゼのように、世界中に、恐らく東京の中で一番有名な地区だと思います。
TOYONO:同じように、90年前にブラジル政府がされた事と同じように。ただこれは私達日本人のムーブメントとして、2000年頃に始まった「カフェ・ムーブメント」があって、雑貨店や家具店などでブラジル音楽が使われて人気が再燃するきっかけとなりました。ブラジルから一番遠い日本にもかかわらず自然発生的にカルチャーとコーヒーの両側面からブラジルが浸透している事は改めて考えるととても興味深いですけれども、大使はどのように感じられますでしょうか。
O Sr. Embaixador(大使):
確かに今おっしゃった「カフェ・ミュージック」というムーブメントは、ボサノヴァと居心地の良い雰囲気、ふたつを結びつけたわけです。コーヒーがブラジル音楽を牽引した形になってるわけですけれども、そういった事で製品と洗練されたイメージや魅力が関連づけられてると思います。
私が、もしそうなったらもっと素晴らしいと思う事なのですが、そういった東京の雰囲気のいい人気のカフェで、例えばブラジル建築やブラジルデザイン、その他のブラジルの最もすぐれた他の要素も紹介していただいて、コンテンポラリーアートのインスタレーションみたいなものをどこかでやって頂けるといいなと思ってます。
TOYONO:オスカー・ニーマイヤ展が凄く人気だったのも、やはりブラジルの建築という物に凄く興味を持たれてるのだなと感じました。
O Sr. Embaixador(大使):そのとおりですね。
日本の新しい世代の建築家達は、ブラジルの建築と非常に強く関係があると思いますけれども
これを機にコーヒーと音楽に加えて、ブラジル建築とブラジルデザインという物が新たに加わると良いと思います。
TOYONO:では、大使の個人的な事をお伺いさせて頂きたいと思います。
日本人はコーヒーに氷を入れてアイスコーヒーとして飲む習慣がありますが、ブラジルでも最近ではアイスコーヒーを召し上がるそうですが、大使はやはりホットでお召し上がりですか?
O Sr. Embaixador(大使):
私はですね、コーヒーはホットで、という風に育った世代です。
非常にブラジルは暑くて、海とかビーチとか非常に暑いのでちょっと不思議かもしれませんがそういう世代に属します。
ブラジルでは、若い人は知りませんけれども、やはりコーヒーというとホットという風なイメージです。ただ、コーヒーのアイスクリームというのは私の子供の頃からあって、多分フランスからの物なんでしょうけど、ブラジル人はとても好きですよ。
日本は、ブラジルでは非常に「スタイリッシュ」と見られていますので、ひょっとしたら
サンパウロの「ジャパンハウス」あたりを起点にブラジルでアイスコーヒーブームを作れるかもしれませんね。
(※日本政府外務省が世界3都市(サンパウロ,ロサンゼルス,ロンドン)に設置した対外発信拠点。他都市に先駆け2017年4月にサンパウロがオープン。)
TOYONO:大使のコーヒーのオススメの飲み方、例えばコーヒーと何かを合わせるとか、そういったものがもしあれば、教えていただけますか?
O Sr. Embaixador(大使):
私は非常にコーヒーが好きで大量に飲むんですが、日本であまり見かけないのはお菓子とコーヒーの組合せですね。日本は素晴らしいスイーツがたくさんあるのでこういった組合せをすすめるのもいいかと思います。
ブラジルでは一日に何回もコーヒーを飲むんですね。朝のコーヒー、昼食後のコーヒー、そして「午後のコーヒー」と。
イギリスには「アフタヌーンティー」があって、紅茶と一緒にサンドイッチやビスケットを食べたりしますけど、
それと同じようにブラジルでもセレモニーとして「午後のコーヒー」の時に
「ポン・ヂ・ケージョ」(ブラジルのチーズパン。タピオカ粉とチーズで作られ香ばしさとモチモチとした食感が人気のスナックパン。街角でも焼立てが売られている。日本で発売された物は小麦も使っている物が多く、少し異なる物もある。)とか
「ボーロ・ヂ・マンジョッカ」(同じくタピオカ粉を使ったパウンドケーキ。マンジョッカ芋のデンプンがタピオカ粉。)とか
「ボーロ・ヂ・フバー」(トウモロコシ粉のケーキ)といったお菓子を一緒に食べるんですが、そういった「午後のコーヒー」というようなセレモニースタイルを普及させるのもいいかなと思います。
TOYONO:その「ブラジル式のコーヒースタイル」というものを是非日本でも広めたいですよね。
O Sr. Embaixador(大使):
最近はお砂糖が減る傾向ですけれども、伝統的には「cafezinhoカフェズィーニョ」(=エスプレッソコーヒー)は非常に甘くして飲む方式で、ブラジルのカフェズィーニョはとても甘い、と知られてます。私が35年前に外務省に入った頃にはオフィスの魔法瓶に入っているコーヒーも砂糖入りでした。
だんだん次第に「砂糖入りの魔法瓶」と「砂糖なしの魔法瓶」と、ふたつ出されるようになりました。
伝統的なやりとりですけれども、「コーヒーは砂糖入り?砂糖なしですか?」と聞かれたら
「はい、砂糖入りで。もう苦いのは人生だけで結構です。」と応えます。(笑)。
そしてブラックを飲む人は「甘いのは人生だけで結構だ。」と応えます。(笑)。
TOYONO:ブラジルのオフィスではコーヒーがそうやってサーブされているのが普通なのでしょうか。
O Sr. Embaixador(大使):
書類の決裁を部下のみんなが持ってくるのは、ここに(大使執務室)美味しいコーヒーがあるからなんです。(笑)
TOYONO:私達日本人も大使館を訪れる機会があれば、ブラジルの美味しいコーヒーが飲めるという事でしょうか。
O Sr. Embaixador(大使):
ご記憶かどうか、2014年のサッカーワールドカップの時に、この大使館の前にパビリオンを作りまして10時から6時まで一日中、訪れた人にはコーヒーをサービスしてました。
日本で売っていない「カフェ・ペレ」というとても良いコーヒーがあるんですけれども、それを大量に寄付して頂きましたので、パビリオンで一日中お出ししてました。
TOYONO:世界各国の大使館がありますが、そんなに広く受け入れている大使館は他にはないと思うのですけれど。
O Sr. Embaixador(大使):
他の国の場合は非常に治安という事が大きく、みなさん心配されるんですが、ブラジルの場合は、ブラジルという国の魅力を外から来た方がよく言うのは「ブラジルは非常に人々をあたかかく迎え入れる国だ」という事で言われますので、大使館もやはりそういった「人々を歓迎する」という事が大事だと考えています。
TOYONO:ではこの展覧会もたくさんのみなさんにお越しいただいていい、という事ですね。
O Sr. Embaixador(大使):
そのとおりです。もし見学者がコーヒーを飲みたければお出しするべきかな、と(笑)。
実は今回の展覧会で私も初めて知ったんですが、ちょうどこの展覧会の舞台となっている1930年の頃から、コーヒー豆の袋があるんですが、コーヒー袋、ジュートという物で出来ているんですが、そのジュートが実は日本人移民がブラジルで栽培をはじめて、アマゾンで始めたんですけれども。それでそのブラジル産のジュートでのコーヒー豆というのが、ちょうど1930年から始まったという、そういう事実があります。
ブラジルから日本に輸出している業者さん、あるいは日本でブラジルのコーヒーを輸入している業者さん、そのいずれもこの事実を知らなかったんですね。これも、両国の関係を象徴するまた新たな着目点であり非常に嬉しく思います。また展示会に飾ってる一部の写真は、ほんの6ヶ月前に、リオデジャネイロの外務省のアーカイブで初めて発見されたものです。
この展覧会がさらに色んな知識を拡大していく大きなきっかけになると思いますし、またいろんな昔の資料で日本側からも大いに協力を頂きました。
TOYONO:私達がブラジルコーヒーを飲む時に、私達日本人もこのコーヒーの歴史の一部にかかわってた、と自信を持って飲んでいい、という事でしょうか。
O Sr. Embaixador(大使):
まさしくそのとおりです。非常に感動的なんですけども、日本企業もこのブラジルコーヒーの宣伝にかかわっておりまして現在でも続いていて活躍している、そういった輸入業者もいらっしゃいます。
実は三島由紀夫が1952年にブラジルに旅行しているんですけれども、そこで戯曲を書いていて、その戯曲は非常に成功したんですが、その戯曲の物語の舞台となっているのがサンパウロの日本人のコーヒー農場であります。(※戯曲「白蟻の巣」)
TOYONO:有難うございます。そろそろお時間ですね。
今回のインタビューの感想を頂ければ嬉しいです。
O Sr. Embaixador(大使):
日本側の発案でブラジルを宣伝するという動きがある事を大変嬉しく思います。今回日本側のイニシアチブでブラジルの宣伝をして頂きました。貴女のような方が、こういった番組の為にここに来ていただくという事自体、1930年にブラジル政府がやった事が成功だった証だと思います。
TOYONO:ムイト・オブリガーダ。有難うございます!!!!!
O Sr. Embaixador(大使):こちらこそ、有難う。