Joyce Moreno& Chico Pinheiroインタビュー
インタビュー「ジョイス・モレーノ&シコ・ピニエイロ」
2018.10.1.@丸の内コットンクラブ
インタビュアー:TOYONO
協力:ブルーノート東京
TOYONO(以下、T):オラー。実は1996年にあなたのレコーディングを見学したことがあるんですよ。
アルバム「イーリャ・ブラジル」のレコーディングで。吉田さん(※プロデューサーの吉田和雄さん)に連れて行ってもらったの。
Joyce(以下、J):ああ、あの時の。そうだったのね!?嬉しいわ。
T:今回のラジオ番組は私にとっての初めての番組で、初インタビューがあなたなんです。
J:そうなの!?なおさら嬉しいわ。本当に有難う。
T:私もとっても幸せです。
J:こちらこそ。こちらはシコよ。
Chico Pinheiro(以下、C):トゥード・ボン?はじめまして。
T:トゥード・ベン!実は以前に一度、あなたにメールを送った事があったのよ。あなたの楽曲「ポポー」についての。
C:ああ、譜面の事で!?
T:そう
C:覚えてるよ!!!!!何て事だ!嬉しいね。
T:以前、あなたが高田馬場のとんかつのお店が好きだって聞いた事があるんだけど。
J:ああ、それはだいぶ前の話ね。
T:そうなの?今は日本の食べ物で好きなものはある?
J:今はベジタリアンなの。高田馬場に行ってた頃は海老フライを食べてたんだけど。
T:ああ、そうでした、海老フライだった!
J:でも今は海老は食べないの。ベジタブル・フライなら大丈夫よ。
T:野菜の天ぷらなら大丈夫ね。
T:あなたのニューアルバム「50(スィンクエンタ)」を聴かせて頂きました。
そして同時にファーストアルバム「JOYCE」も、もう一度聴かせて頂きました。
とっても大きな違いを感じたわ。
J:そのとおりね。50年だものね(笑)。
T:アルバム「50(スィンクエンタ)」はますます輝きを放っていて、とても好きです。
まず今回のアルバムで、あなたがどんな風にこのコンセプトを考えたのか、知りたいなと思いました。
J:そうね。言うなれば
この1968年のファーストアルバムの収録楽曲が凄く好きだわ。
今から思っても、とても輝いていて素晴らしい。
なぜなら初めて自分の楽曲が収録されていたり、いろんな私の友人達がエネルギー溢れる楽曲を提供してくれていたり。
だからまず楽曲がとってもいいの。
ドリ・カイミの美しいアレンジがあったり、彼はこの頃アレンジャーとしての仕事も始めたばかりの頃よ。とっても有名なガヤ(=Maestro Gaya)のアレンジ楽曲もあるわ。ライナーノーツはヴィニシウス・ヂ・モラエスで、全て最高の布陣で作られていて素晴らしいの。
でもね、私はこのアルバムをもう一度レコーディングしたかった。
私の今のアイデアで。
それに、これは私がいつも思ってた事なんだけど
その頃の私は歌うことにとても臆病だったし、ギターもレコーディングしていないし
自分自身ではこの段階でレコーディングするなんてまだまだ許せなかった(笑)
だから、そうなの、これが全てかしら。私にとってファーストアルバムを再録音したかった大きな理由は。
そしてもうひとつ、みんながやるようにキャリアのアニバーサリーで、20年、30年、25年など、
私もやってきたんだけどデュエットアルバム、ヒット曲のライブアルバム、ヒット曲のライブDVD、これら全部やってきたので今回は何か違った物を、と考えたの。
もっと面白いものをってね。
今は同じアルバムを再録音したこのアイデアを凄く気に入っているわ。
そう全く同じ曲順で録音して
でも、解釈は全く違っている。
T:私も曲を作るのだけど、自分の作った楽曲は全部好きなんだけど
その時々の状況によって受け止められ方は変わってくる。
私はあなたもそのように思ったのでは、と思ったのだけどどうですか?
J:今の質問にあったような、ヒットするかどうかは私はそんなに気にしていないの。
いつも考えるのは、ヒット曲も(他の曲も)私にとっては同じ存在。
もしオーディエンスが好きになってくれれば、それはラッキーだけど
だけど今まで一度もオーディエンスに受けるかどうか、ヒットするかしないか、と考えて曲を作った事はないわ。
ヒットすれば、それは偶然に起こる幸せな出来事だと思ってる。
私のファーストアルバムの場合、その頃は実際それほど反響もなかったし、
あまりよくない反応もあったの。
なぜなら一部の記事で私の音楽が女性としてはとても大胆すぎると思われて。
(※駐日ブラジル大使館主催のトークショーで、曲の中に「私の男」という表現があり、その表現が「今までなかった」という話があった。)
その頃のブラジルは作曲する女性が少ししかいなかったし、女性らしい作曲というのもなかったし。
だから、このアルバムは時代の被害者とも言えると思う。
でもその反面、ずっとこのレパートリーがとても好きだったから、もっといい歌手でレコーディングをするチャンスが来ないかと望み続けてきたの。
こういった事で、このアルバムを再録音するアイデアが生まれたのよ。
T:あなたのアイデアはいつだって私たち日本人ファンを楽しませてくれてますよ。
J:それは良かったわ。有難う。
T:日本人オーディエンスや日本人のファンに対して、どういう印象を持ってますか?
J:私と日本は30年以上も安定した関係ね。
T:30年以上続いてるって凄いですよね。
J:そう30年以上ずっと日本に行っているけど、毎回いつも素晴らしくて大好きだわ。
私の音楽に対して毎年包容力を持って接してくれる国です。
T:30年前と今で違いは感じますか?
J:30年前、日本に来始めた時はオーディエンスは特定ジャンルを好きな人が多かった。ブラジル音楽がとても好きな人達。たとえば雑誌ラティーナの読者などね。80年代の頃ね、85年が初来日よ。
その後90年代になって、オーディエンスが変わってきて、増えてきたの。DJやDJフォロワーの人達ね。(※クラブ・ミュージックファン)
私の演奏が始まるとフロアで踊りだしたり、そういう時代だったでしょ。フロアで踊る時代。
オーディエンスも若い人が増えはじめた。
T:日本では「カフェ・ミュージック」と呼んでいたかも。
J:ロンドンでは「アシッドジャズ」だったわ。
そうやってオーディエンスがどんどん若くなっていくのと同時にジャズファンも増え始めたの。
そうやって他方のオーディエンスも増えていって、多様化していって、みんなが楽しんでもらうようになっていった。これは本当に素敵な事ね。
T:ジョイス・モレーノは、私TOYONOがブラジル音楽を歌いはじめる大きなきっかけとなった方です。ジョイスがリリースした「トム・ジョビン60年」の中の”WAVE”を耳にしたのが始まりでした。
その後、何度も何度もブルーノート東京、ブルーノート大阪のジョイスのライブに通いました。
では次に聞きたい事なのですが。
あなた達のとのコラボレーションに関してです。
1公演が終わりましたが、いかがでしたでしょう。
J:最高だったわよ。
C:良かったね。ジョイスは大好きな人だし。いつもいいよね。
J:ええ、いつも良かったわ。
私達は一緒に演奏するのはもう何度目かで、
初めて一緒に演奏したのはNYの Dizzy’sで
初めてよね、あれが
C:そうだね。Dizzy’sだった。
J:今年はマイアミの、何て名前だったっけ
C:フェスティバルね。パインクレストガーデンズだ。(※2018.3.10.Latin Jazz meets Brazilian Songs サミー・フィゲロア(perc)とジョイス・モレーノとシコ・ピニエイロでのライブ)
J:いつも一緒に演奏する機会に恵まれるの。凄く最高よ。
T:このコラボレーションは凄くスペシャルだと思うわ。
C:僕に取ってもね!
J:みんなに取ってスペシャルね。
T:どうやって二人は知り合ったの?初めて知り合ったのは?
J:多分、私がシコのライブを聴きに行ったのよね。
C:そうだったと思う。凄く前だよね。まだマリア・ヒタが出演してたころ。
(※国民的歌手故エリス・レジーナの娘で、現在マリア・ヒタも国民的歌手。まだデビュー前、シコのバンドに参加していてサンパウロで話題のライブであった。)
J:居たわ。マリア・ヒタとルー(Luciana Alves、シコの奥様)とタチアナ(Tatiana Parra)と。
C:ミストゥーラ・フィナだったね。(※リオの老舗ライブハウス)
J:そう、ミストゥーラ・フィナね。
C:その後、音楽業界って凄く広いけど、でも反面狭い世界でもあって、ジョイスとは共通の知合いも凄く多くて
J:そうね。共通の知合いが多かった。
C:それで初めての共演はNYだった。
J:Dizzy’sね。
C:そう、Dizzy’s。
それは僕にとって、とてもスペシャルな共演で。
僕はTOYONOと同じようにジョイスの大ファンだったし
僕たちには凄く違いがあるからね。
僕はジョイスやトム・ジョビンやジルベルト・ジルなど良質のブラジル音楽を聴いて育ったんだよ。母がブラジル音楽が好きで凄く良く知っている人だったからね。
だからジョイス本人を知り合う前に、ジョイスの音楽を凄く知っていたんだよ。
その事がとても良く今回のコラボレーションにも生かされていると思う。凄く好きな音楽を奏でる人と知合いになったら「同じ物が好き」という共通の言語がたくさんあるから、全てがよりよく働いてくれるだろ。
J:Dizzy’sのライブもとてもスペシャルなものだったわ。
C:リンカーンセンターだよ。Jazz at リンカーンセンター。
J:あそこにDizzy’s coca cola Jazz clubがあるの。
T:あのガラス張りのところね。
J:そこで「ジェネレーションズ inジャズ」というプロジェクトがあって
(2012年9月10日※JOYCE Generations in Jazz Festivalat Dizzy’s Club Coca Cola
withDom Salvador Chico Pinheiro Helio Alves RodolfoStroeter Tutty Moreno
3世代のアーティストが共演するというコンセプトだったの。
ドン・サウヴァドールというNY在住で凄く重要なブラジル人ピアニストも共演したのよ。NYに住んで40年以上だと思う。
C:エディソン・マシャード(drs)と一緒にやってたのも有名だよね。
J:ブラックミュージックのバンド「Aboliçãoアボリサオン」もやってたし、「Rio 65 trio」のリーダーでもあったの。アメリカに渡ってから今に至るまでずっと住み続けている。
3世代、ドン・サウヴァドール、私達世代、シコの世代の共演。凄く良かったわ。素晴らしいプロジェクトだった。
C:素晴らしかったよね。
J:コンセプトも素晴らしいわ。
クレイジーなブッキングを実行したんだけど(笑)、結果、全てが上手くいったわ。
C:いろいろな年代の音楽を演奏したんだよね。
T:いつの話?
J:いつだったかしら。2012年?
C:2012年か2011年かな。数年前だよ。何回か公演だったよね。一週間ぐらいあったっけ。
J:そうね。全ての公演がソールドアウトだったわ。良かったわ。
C:リンカーンセンターでは同じコンセプトでモアシール・サントスの素晴らしいライブもあったんだよ。いつも違うコラボレーションだけど、どれもいつも素晴らしくて、僕は何度もこのプロジェクトのライブに足を運んでるんだ。
T:それでは、日本のファンにメッセージをください。
J:日本のファンのみなさん、日本のブラジル音楽ファンのみなさんへ。
ブラジル音楽をずっと聴き続けて欲しいなと思ってます。作曲家、アーティスト、シンガー、ミュージシャンなど常に素敵な人々が登場してきてます。
これからも私達の音楽を好きで居続けて欲しいです。
私達は貴方達が大好きだし、貴方達が私達を好きでいてくれる事も嬉しく思ってます。私の全ての慈しみと平和を愛する心と音楽を、貴方達に贈らせてください。
T:有難うございます!
C:日本のファンのみなさん、日本のブラジル音楽ファンのみなさんへ。
貴方がたの変わらぬ慈しみにとても感謝します。貴方方は凄く遠くであっても、またたとえ近かったとしても、私達はお互いを思う事が出来てきたし、私達がこうやって日本に来れるのは本当に嬉しい事です。応援していただける事にとても感謝しますし、貴方方がブラジル音楽を楽しむ時間を愛してくれている事にも感謝します。
T:有難うございます。
T:ジャパンツアー後の予定を教えてください。
J:ジャパンツアーの後、ブエノスアイレスに行きます。
そしてその後ブラジルでも何本かのライブがあって、11月から12月にかけてヨーロッパツアーもある。さらに新しいアルバムがリリースされるんだけど、それはライブ録音でアルフレッド・デル・ペーニョ(Alfredo Del Penho)と一緒のライブなんだけど、ライブは2ギターと2ヴォーカルのね。まだ詳細は私もわかってないんだけど、リオのO Instituto Moreira Sallesモレイラ・サーリス協会という場所でのライブよ。Sidney Millerシドニー・ミラーという作曲家の作品ばかりのもので、今年の終わりにブラジルでリリースされるわ。これが今年最後のプロジェクトになるわね。
T:ジャパンツアー後の予定を教えてください。
C:ジャパンツアーの後、アメリカに戻っていろんなところでライブシリーズをやる事になってる。
その後ブラジルに行って新しいアルバムのレコーディングに入ります。そして12月にはアメリカ人歌手のニーナ・フリーロムNnenna Freelonのツアーがある。基本的には僕の次のプロジェクト、とってもエネルギー溢れる音楽プロジェクトなんだけど、2枚のアルバムを作る予定です。ひとつはブラジルで、ひとつはアメリカで。違うグループで録音します。アルバム自体も全然違う物になると思う。その2枚のアルバムが来年リリースされます。
T:有難うございます!